海外の人と話していて、たまに宗教の話題になると、とっても難しいのが、日本人の宗教観。
・・・ちょっとだけ考えてみよう。
今はせっかく、年末年始で、宗教っぽい行事が多いのでーー。
目次
クリスマス→ 【キリスト教】
大晦日→除夜の鐘を衝きにお寺へ。。。【仏教】
お正月→初詣に神社へ。。。 【神道】
と、年末年始だけみても、三種類の宗教行事に参加している・・・・・・。
お葬式は仏式が多い・・・。けれど、特別信仰あるかというと、
「宗教?」
「なんか怖い・・・」「胡散臭い・・・」
という人が多いのではないでしょうか。
けど、これは世界的に見ると少数派です・・・。
大抵の民族が宗教を持っています。節操なく、「なんかめでたそう」なものは愛でる日本人。特別に、どれか一つに信仰を抱いている人は少数派でしょう。
しかあし!かといって、「無神論者」というのも何か違う気がします。何かしら人間の存在を超えた大きなものは、ぽややーんと頭に描いているような気もしませんか?
こういうことを、外国人に説明するのがいっつも難しい!
「あなたは無神論者Atheist よね、と言われると、一瞬「ん??」そうなのか、と思ってしまう。「うんまあそうなんだけど・・・」と一応うなずきはしつつ。
そこで一回、海外の人にどう説明したらいいのか、ちゃんと考えなければ!と思いたちました。考えてみます!
日本人が信じている宗教の種類と割合は?
文化庁の宗教年鑑(平成21年度版)によると、日本人の信じている宗教割合ってこんな感じらしい。
あれ、神道系が多いのが意外!52.3%です。
続いて仏教42.2%、
続いて諸教(まあ色々ってことね)4.3%、
そこにキリスト教系1.1%が続きます。
とはいえ、これは宗教法人が申告している数なので、実際よりも、積んでるらしいです。。汗
全部合わせると、日本の人口を超えてしまうとも言われていたり・・・。
キリスト教がここまで少ないのも意外ですね。100人に1人しかいない計算になります。(もっと多そうだが・・)
とりあえずこうしてみると、神社仏閣が日本では強いみたい。
まあ確かに、七五三で神社にお参りに行くし、お葬式はお寺だし・・・。
神社でもお寺でも、同じように手を合わせるし・・・。
まあ、自分を振り返ってみても、行動の上では少なくとも、信じている(かのように)ふるまってはいますわね・・。
大体、この二つがスタンダードのようです。
祖先崇拝とかは宗教に入らんのか??
けど、よく神社やお寺に行くからといって、それは習慣みたいなものですよね。
若い人なんか特にそう。
初詣だって、彼氏や彼女と着もの着てデートする口実なんじゃ・・・。
と考えると、本当に信心深そうなのは、お年寄りです。
お婆ちゃんやお爺ちゃんが、よくお仏壇の前で手を合わせていますね・・。
とはいえ、アレって本当に、お釈迦様に祈っているんだろうか・・・となると疑問ではあります。
仏壇は、位牌を置く場所でもありますよね。だから、亡くなったお爺ちゃんとか、ご先祖様とかに、祈っているのかもしれない。お墓参りとそんなに変わらない心境かもしれない・・・。
てなると、仏教というよりは、祖先崇拝という性質が強いのでは・・?
祖先に対して、「お守りください」とか、そういうふうに祈ることって割とありそうですよね。普通の一般人だった故人に、人間を超えたパワーを感じているのだから、これは、半分宗教的といってもよさそうです。
亡くなることを「仏になる」なんて言い回しもありますよね。
・・・でも、日本人は「祖先崇拝」が宗教とまとめられても、乱暴な気がします。
日本人は四季が宗教の代わりになっている?
前に読んでいて面白いなあと思ったのは、歴史小説家、司馬遼太郎さんの言葉でした。
司馬さんによると、日本人は、ともかく四季が巡っている感覚すればあればいい!というようなことを言ってました。
春夏秋冬と、季節が移り過ぎていき、常に新しいものが登場し・・・それさえあれば心が満たされるのだ・・・みたいな。
そして、日本の宗教観というのは、掃き清められた境内とか、お部屋みたいなものなんだと。
そこは綺麗にされて、何もなくてガラーンとしている。
そういう清潔で何もない空間がベースにあるのだけど、そこを、色々な神さまや、季節が通っていく、それを人々が有り難がるのだ・・・と。
この意見、本質突いてるとこがある気がします!
確かに、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教なんかは、砂漠で生まれた宗教ですよね。厳しい自然環境の中で、戒律に厳格な厳しい神がイメージされたのかもしれません。
対して日本は、確かに冬は寒いし、夏は暑いから、一年を通じて過ごしやすい、というわけではないけれど、山が多いので、とにかく水源は豊富にありますし、緑も多いです。
ジリジリ照り付ける太陽と闘う砂漠の民に比べれば、まだ穏やかな自然に包み込まれて暮らしています。
だから、その時々の自然、四季ごとの豊かさを味わうのが、宗教の代わりになるというのは分かる気がします。
神道だって、元は自然信仰から生まれたものという部分が大きいでしょうし。
山そのものがご神体だったりしますからね。
神社のシンプルな作りも、山とか海の神さまに祈るための、電話ボックス。。。つまりは仲介役、みたいなふうにも見えます。
「無神論者」じゃなくて「無宗教者」?
で、ネットを徘徊していて面白いなと思ったのは、日本人は「無神論」というよりは「無宗教」なんだって意見。
確かに、「あなたって、無神論者だもんね」と外国人の友達に言われると「??」と何か違和感を覚えるのです。
私の中で「無神論」というと、ずばり、フリードリヒ・ニーチェなんです!
「神は死んだ!
われわれが殺したんだ!」
っていう、有名な台詞が、ニーチェの本には出てきますね。
(ツァラトゥスラだったか?)
ずぎゅーん!
ニーチェ先生です。
・・・つまりは、あえて世間一般で信じられている「神さま」というものを、否定するという、強い決意と信念がみなぎっている感じがするんですよ。
「無神論者」という言葉には・・。
昔は信じていた神様を、あえて否定するという強い信念がそこにある・・・。
しかし、わが身を振り返っても、そんな者はありません・・・。
日本人の「宗教を信じてない」というのは、もっと、「ちゃらんぽらん」
「ゆるい」「いい加減」なんですよねえ。
「ゆる無神論」って言ったらいいのか(笑)
だから「無宗教」の方がしっくり来るのではということですね。
「特別に信じている宗教がない」っていうことで。
「無宗教」というよりは「汎神論」か?
けど、「無宗教」というと、本当に何も信じていないような気がしてしまう。
そうじゃなくて、結局、「なんでも信じちゃう!」っていうのが一番近い気がします。
やっぱり、八百万の神なんですわな。
「ゆるキャラ」もそうだと思います。
あれって、江戸時代以前だったらその土地土地の神さまみたいなものとして、神社に祀られることになってたって、おかしくないと思う。
イエス・キリストだろうと、お釈迦様だろうと、神社の神さま、(天照おおみかみ?)
ともかく、有り難そうなものには、何でも手を合わせてしまうのが日本人なんじゃないでしょうか。
万物に、神性を見出していた、アニミズムにも近いのかもしれません。
人格がある神を信じているわけではない、
でもかといって、目に見えない世界を絶対に否定しているわけでもないと思うんです。
皆、どこかしら、自分の生命を超えた何か大きなものの存在は、どこかで前提しているのではないかなあ。
死んだら、自然の元素の流れに還っていく・・・となんとなーく思っていたり。
キリスト教のような天国と地獄を思い浮かべているわけではないのだけれど。
キリスト教と仏教の大きな違いは、輪廻転生ですよね。
キリスト教は、一度死ぬと、お墓の下で待機していて、最後の審判の日に目覚めるまでは眠り続けるわけです。
けれど、仏教の場合は、死んだらまた生まれ変わる。そして、その輪廻の輪から抜け出すことができて、もう生まれ変わらなくてもよくなったら、解脱なんですよね。
ある意味では、自分は消えるけれど、違う生物として生まれ変わるという、無限の生命を与えられているようなものです。
この死生観のどちらに、現代日本人が近いかというと
・・・やっぱり判断が難しいです。人によって違いそう。
というか、多くの人は、特に死後のことなんか「考えてない」というのが正解かもしれませんね。
・・・とまあ、ツラツラ考えましたが、結論が出ません('◇')ゞ
日本人の宗教観の特徴としては
- 祖先を大切にする
- 四季がめぐっていくのが、宗教の代わり(だからイベントが好き!)
- 「無神論atheism」というよりは「汎神論pantheism」
こんなところがキーワードになってくるでしょうか・・。
なんか、いい説明を思いついたらまた書きます!
カルチャーギャップについては、以下のような記事も書いてますー。